インドの聖地ブリンダーヴァンにジヴァのアシュラムがあります。そのアシュラムで神様に仕えるサトヤナラヤナ・ダーサが、恐れについての質問に答えています。すべての人に当てはまることなので、抄訳ですが皆さんとシェアしたいと思います。これはアーユルヴェーダの道でもあります。

質問

私は法曹界の人間です。法律は解釈が不確実であり、法律を適用する仕方も一様ではありません。私のクライアントの状況においては、曖昧な問題が多く、リスクも伴います。そのため、自分がクライアントに与えたアドバイスが正しかったのかとか、私が推し進めてきたプロジェクトに抜かりはないかなど、私はいつも不安な気持ちを抱いています。こうした恐れは私の感情を乱し、不安感とともに私の心を落ち着かなくさせています。

サトヤナラヤナ・ダーサの答え

心はあなたの僕であるはずです。足が歩くための装置であるように、心も装置です。足はあなたが命令しない限り、勝手に歩きまわることはしません。しかし、心は安定しておらず、こっちに走ってみたり、あっちに行ったり、これを心配したり、あれを不安がったりします。物質を所有している限り、恐れは消えません。

大統領になれば、次の選挙で負けはしないかと恐れます。物質の世界にはいつも恐れがあります。権力をもてば、それを失うことを恐れます。苦悩の多くは、いま持っているものを将来失うのではないかという恐れから来ています。しかし未来は今ここに存在しているものではなく、いま将来を心配しても、将来に起きることを変えることはできません。さらに、いま心配しても、過去に自分がとった行動を変えることもできません。心配は、静けさに満ちている今のこの瞬間を経験する機会を奪い去るだけです。

自分の行動の実践者は自分だと思わないときに、心の平安はもたらされます。自分の義務を果たし、最大限の力で仕事を全うし、どんな結果がもたらされようともそれを受け入れることが最善の方法なのです。自分のクライアントを喜ばせたかとか、抜かりはなかったかとかを心配する必要はありません。自分が最善を尽くしたことを信じればよいのです。自然のハーモニーをみてごらんなさい。太陽は、光線を十分に広げているかと心配していますか。太陽は空を優雅に動き、自分の義務を果たし、万物に光を与える瞬間瞬間にいるだけです。雲がかかっても、光を与える努力を怠ることなく、光が地球に届いたかどうかを心配してはいません。どんな結果になっても、それを信頼することです。仮に悪い結果が訪れたとしても、そこから何かを学び、スピリチュアルな成長につながるはずです。

実践練習

上記のアドバイスは聞いたことがあるかもしれません。いままで聞いたことがなかったとしても、理解できるでしょう。しかし、実践は別です。ヴェディック心理学が言っているように、あなたが心をコントロールしようとすればするほど、狡猾な心はあなたをコントロールしようと躍起となります。心配ごとを無視しようとするほど、あるいは今の瞬間に心を向けようとするほど、恐れや疑念は強まります。それは二歳児のようなものです。お菓子を食べてはいけないというルールを子供に守らせようとして親が躍起になればなるほど、子供は大声で泣き、だだをこねます。途方に暮れた親は根負けしてお菓子を与えることになります。心は変わるものなので、「耐えれば道は開けるのかもしれないけれど、現状は悪化の一方で耐え難い」という行動が起きるのです。大切なのは知性、つまり「ブッティ」を使うことです。絶えず心に浮かんでくる不安や恐れに屈しない方法は知性を使うことなのです。

##サトヤナラヤナ・ダーサは来年秋に来日する予定です##